映画ダビンチコード
31日、試験休みの娘と映画「ダヴィンチコード」を見に行きました。事前に本を読んでいたのでとても楽しみにしていました。
1日の毎日新聞には、ダヴィンチコードの世界各国の反応について書かれています。
釈迦が結婚していて、子どももいたことは有名な話しで、イエス・キリストに子どもがいたらそんなに大問題なのか、とキリスト教徒ではない私には理解ができないところです。
原作はとても面白かったのですが、映画で気になる点がありました。キリスト教では女性が虐げられ、中世魔女狩りと称して能力のある女性の多くが火あぶりなどで虐殺されました。これに批判的なのが、ダヴィンチなどが総長を務めたシオン修道会だということになっています。イエスには愛する女性がいて、娘もいた。主人公の一人ソフィーがその血を引くただ一人の子孫だという設定に、映画では変えられていました。
そして、最後の場面ではソフィーを守る人たちが現れて、それが私にはとても不気味でした。なぜなら、その人たちはソフィーの命を守るだけに現れたわけではないと思うからです。ソフィーの子孫をも守り続ける。つまりソフィーは必然的に結婚や子どもを生むことが強制されることになります。ソフィーが子どもを生まなかったら、もうイエスの血はそこで途絶えてしまうのですから。
原作ではイエスの血を引く何人かの一人のいう設定でした。なぜ映画ではだた一人という設定にしたのかわかりません。これでは、原作と違い、女性を単なる生む道具としてしかみていないことになる、と憤りを感じているのは、私だけでしょうか。
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